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「平和の100年」が破られた第1次世界大戦は1918年に終結、ここで明らかにパワが与えられるとともに、その発行量は1400万ポンドまでと定められ、それ以上の発行には金の100%準備が必要になった。 だが、1847年や1857年に発生した恐慌の際には、銀行券発行上限が定められたこの法律が一時停止されており、通貨量を厳重に管理することのリスクが徐々に浮き彫りになっていく。
もっとも、通貨主義の優位性が崩れたわけではなく、金の保有額によって通貨量を制限するのが適切であるとの考え方は変わらなかった。 通貨主義は、結局1971年の N ・ショックまで生き延びることになったのである。
バランスは崩れて英国の衰退と米国の台頭という相対変化が顕著になる。 そうした経済構造の変化のなかに大恐慌への伏線を見る向きもあるが、実際に1930年代の世界をどん底に落とし込んだのは「金本位制」への固執であった。

戦時中に軍事費調達のために一時的に金党換を停止し金本位制から外れていた欧米各国にとって、戦前の平和を支えたように見えた金本位制に復帰することこそが、平和回復と経済復興のための喫緊の課題であったのである。 第1次世界大戦終了後、米国株式市場が熱気を帯びてくるのは1924年以降であるが、その背景には米国経済の進展、具体的には自動車産業に代表される生産・輸出の増大や終戦による国内消費の増大、農業機械化による生産性の上昇、欧州産業の競争力低下といった、米国にとっての順風要因が重なったことがあげられる。
こうした好材料で米国株に資金が流入し始め、1906年にはじめて100ドルを突破したダウエ業株別種平均は、1929年には400ドル近くまで上昇していた。 だが米連銀の相次ぐ引き締め政策を嫌気して株価はV月別日(暗黒の木曜日)に急落し、さらに翌週の羽日に再度暴落(悲劇の火曜日)することになる。
米国の金利引き上げは、欧州に投資されていた米国資本の本国還流を促すという強い副作用をも生じさせることになった。 当時は、米国が敗戦国として賠償金で苦しむドイツに資金を投じ、ドイツはその資金で英仏に支払いを行い、英仏はその資金で戦争中に米国から借り入れた負債の返済を行う構図ができていた。
その循環が、米国資本の逆流によって停止してしまったのである。 株価が暴落した時の大統領は、F であった。
この第皿代大統領は、後に大恐慌に有効策を講じられなかったとして強い非難を浴びたが、実際には1932年には金融機関の流動性危機に対応するRFCを、また住宅ローン市場を支えるためのFHLBを設立するなど、現在にまで残る制度をつくっている。 だが F 大統領は、国家が経済に介入すべきではないと考え、また金本位制も離脱すべきではないとの信念にとらわれていた。
その結果、米国経済は底の見えない泥沼に落ち込もうとしていた。 1930年から銀行倒産が増え始め、そのピークは1933年に到来する。
そこに R が登場する。 F に代わって米国の指揮を取った Rは、ニューディール政策の導入で知られるが、就任2日後には全国的な銀行休日宣言を出さざるをえなかったように、最初に着手したのは銀行問題であった。
また前政権下で発足したRFCを使って積極的に公的資金を民間金融に投入し、さらにFDICを設立して預金保護を制度化する。 また、G・S法を成立させて、商業銀行と投資銀行を分離させるなど、金融制度改革にも腕を揮った。
さらに、フランスなどがドルを金に免換し始めて米国からの金流出が顕著になってきたことを受けて、米政府は金の輸出を禁止するとともに金本位制離脱の検討を開始する。 結果的に大恐慌を脱する直接の契機となったのは、ニューディール政策ではなく金本位制からの離脱であった、との見方が一般的である。

ただしこの時期に、米国でも通貨主義と銀行主義の論争が行われていたのは注目に値する。 シカゴ学派の経済学者であったフランク・ナイトらが、連銀を政府管轄下に置いて既存銀行をいちど清算したうえで、新たな銀行を100%準備の制度の下で設立するという銀行制度改革案を提唱したのである。
銀行は、要求払い預金のみを受け入れて信用創造は行わず、通貨供給量は政府の手に委ねられるという構想である。 こうした提案は、アーヴィング・フィッシャーら当時の経済学者や一部政権担当者の熱い支持を得たものの、あまりにラディカルであり陽の目を見ることはなかったという。
ただ、銀行の機能不全を解消する策として、この議論には評価すべき点も少なくない。 1990年代の日本の不良債権問題や2007年の米国サブプライム問題などを、銀行主義の弊害という座標で見れば、通貨主義の主張もあながち的外れでないことがわかる。
現代に見られる金融危機の本質は、大恐慌時のそれと大きく異なるものではない。 過剰流動性と過大なレバレッジによって国際経済が振り回される現代において、金を利用した通貨供給抑制策や100%準備銀行など、通貨主義の主張が徐々に息を吹き返してくる可能性は皆無だとはいえないだろう。
金は廃貨されたとはいえ、まだ準備通貨としての役割を果たしている。 富士山が「休火山」であるように、金は「体通貨」であると言ってもよいのかもしれない。

(1)W・Bは銀行家の息子として1826年に誕生、英国「 E 」誌の編集長を務める傍らで独自の中銀論を展開した思想家として知られる。 (2)BISは現在では銀行の自己資本比率ルールの策定などで知られるが、第1次世界大戦後のドイツ賠償金支払問題を解決するための Y 案を実行する目的で1930年に設立された機関である。
(3)新たな救済案として、貸付元本の17%を削減した割引債、金利を17%から6.25%に引き下げた固定利付債券がそれぞれ訓年という長期の満期で、既存ローンに代わって交付された。 と分析したが、C 教授らは生産性上昇の裏付けがない急成長は一時的な現象に過ぎないと批判した。
(4)ただし、退任前の G 前議長は、再三米国の財政赤字拡大のリスクに言及し、議会に対して削減策の検討が必要と警告した。 また、海外資本のドル資産離れの可能性にも触れて、為替市場でのドル不安を誘うこともしばしばであった。
(5)P 理論への貢献が認められ、1990年にはノーベル経済学賞が与えられた。 O 理論では、M にも1997年にノーベル経済学賞が与えられている。
(6)サブプライム関連の損失総額は、2000億ドル〜1兆ドルと予想の幅が大きく、実態が掴めていない。 (7)これは、リスク・ヘッジのために開発されたデリバティブが、リスク・テイクに濫用され始めて市場の混乱や投資家の巨額損失を招いた構図とほぼ同じである。
(8)資産担保の短期CP(ABCP)を発行して調達した資金をCDOなど長期資産担保証券に投資する仕組み。 中国経済と金融パワーの勃興国際金融の歴史をたどると、どうしても西洋中心の展開になってしまうが、イスラム民族によるインド洋の交易や、日本や中国など東アジアの海洋国家としての経済活動も、西欧諸国の経済活動と同時代的に認識しておく必要もあるだろう。
アジアは、商業や貨幣経済においてはむしろ西洋よりも進んでいた面も少なくないのである。

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